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それでも新年はやってくる [日記]

今年は私にとって激動の一年になってしまいました。

今のもやもや感は、来年に持ち越し決定です。

でも、それでも新年はやってきます。
明けない夜もないでしょう。

来年は、適当に手を抜きつつ、自分がやるべきこと、やってみたいことをやって、自分磨きの一年にしたいと考えています。
解決しなければならない問題もありますが、まあそれはそれとして。


今年も一年ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいしたします。

年末くらい心穏やかでありたかったのに(TT) [家族]

上海の義父とのび太から、手紙と新年のグリーティングカードが届きました。

手紙は義父が私の両親に、カードはのび太が私に宛てて書いています。

のび太はいまだ義両親には詳しい事情をあまり説明していないようで、私が書いた手紙と、のび太が少しだけ話した内容で義父は義父なりにどんな事態になっているかの想像をしたようです。

たぶんのび太は、言葉の行き違いで私の親の機嫌を損ねた、というような言い方をしたのでしょう。義父は問題をそんなに深刻なものとは捉えていないようでした。私とのび太との仲は問題ないんだけど、私の家族とすれ違いが起きちゃった、みたいな感じに考えているようです。手紙には「馬鹿な息子を許してやってください」というような内容に終始していました。

一方、のび太のカードには

「お義父さん(私の父)がしばらくまうちゃんには連絡するな、と言っていたので今まで連絡しませんでした。でも、お父さん(のび太の父)が絶対に書け、と言うので書きます。できれば手紙を下さい。来年は私は上海にいるべきでしょうか、日本に戻るべきでしょうか」

と書いてありました。

…この2通の手紙とカードを見て、再びやるせない気持ちになってしまいました。

第一に、どうして義父が手紙を書かねばならないのか。私の親に許しを請う手紙を書きたいのであれば、義父は自分の息子に「日本語で」書かせるべきではないのでしょうか。それを自分で書いちゃうあたり過保護だし、もっと言うなら義父の手紙は当然中国語で書かれているのですが、私の親に宛てたものであるならば、私に一筆「日本語が解らないので、翻訳して親御さんに内容を教えてあげてくさい」と書くべきであり、配慮に欠ける。

第二にカードの内容。のび太は私や、私の両親や兄や義姉がのび太に言って聞かせたことを全く!!!理解していない。少しでも理解してたら「来年は上海か日本か」なんてこと書かないでしょ普通。

今まで私達家族が彼にしてきたこと、すべてムダだった…?

ここのところ少し気持ちが上向きになってたのに、この手紙&カードで二番底だよ(--

もう、あんな奴知らん!!

いろいろありすぎて 10 [家族]

「その9」の続きです。

さて、そんなこんなで現在に至ります。
上海ののび太および義父からは今のところ音沙汰はありません。

私はというと、ちょっと冷静さを取り戻して(のび太に比べれば常に冷静だったと言えなくもないけど)これから先のことを、

たぶん、のび太がこれから変わることはないと思う。
少しは変わるかも知れないけど、日本でしっかりやっていけるほど変わることはまずないでしょう。もしかしたら、今頃「大好き」なお祖母ちゃんに私は悪者にされて、あまあまに甘やかされているのかも知れないし(こちらの可能性のほうが大きいと考えてしまう私って…)。

百歩譲って?大変化を遂げたとしても、子供のことが解決しない限りは元に戻るのは無理だと思う。

もともとは「いらない」という方向で結婚したけど、今彼は「どうしても欲しい」わけで、反面私には身体の不安がある。不自然な形では生みたくないし、それで私自身に負担がかかるのもまっぴら御免なわけです(不妊治療等を望んでいる方を誹謗中傷しているわけではないです。念のため)。この溝が埋まらない限りは、もう無理なのかなぁと…

それでも無理やり一緒に生活したら、また子供のことで私は責められなくちゃいけなくなる。「子供のためなら命を懸けるのが女の人でしょ」とか言われたり、花瓶を壊されたりしなくちゃいけなくなる。

もう一回そんなことがあったら、私は今度こそ人間やめなきゃいけなくなる。
もう一度チャンスを与えるのもいいだろう。でも、それでまたダメだったんじゃ遅すぎる。ではどうするか?

なんてぼんやり考えてます。

まあ「とりあえずは傍にいないし、いっぺんにいろいろ考えすぎず、しばらくのんびりすれば?」と言ってくれる友人の助言に従って、年度末くらいは問題は放置しとこうかな、とも思います。とりあえず体力つけないと^^;

皆さんにはいろいろご心配おかけしてます。
でも、一人じゃないんだなぁってことが解っただけでも儲けものです。
本当にありがとうございます。

とりあえず連載(になってしまった)はこれで終わりです。
これからは何かあったら逐次お知らせさせてください。

来年はたのしい日記が書けるといいな^^

いろいろありすぎて 9 [家族]

「その8」の続きです。

翌日父が再びビジネスホテルまでのび太を訪ねたところ、その日(12月13日)の午後1時半の飛行機で発つことになったそうです。

父はもう一度、ちゃんと家に帰って、これまでの事情を自分の目線でいいから親御さんに伝えて、それからいろんなことをよく考えなさい、とのび太に伝えました。空港まで送っていく、というのは固辞したようです。

私達はのび太が前日夜のうちに上海の親に帰国の旨伝えたであろうと思っていました。伝えてなくてもまっすぐ帰るか、お祖母ちゃんか、友達の家にでも行くだろうと。

が、しかし。そろそろ家に到着したであろう時間帯に、上海の義父からFAXが届きました。本来ならば、25日から私も上海に行くことになっていたので、その間どうする、という平和な内容で…

義父がこんなFAXを送ってくるということは、のび太は自分の親には帰国の旨を伝えていなければ、いきなり「ただいま~」っていうシュチエーションも有り得ないわけで、じゃあ彼はどこへいったのか?

そのまま日本に居座っている、ということも考えられないわけではないけど、それじゃあお金がもたない。反面、上海だったら贅沢しなければ1年は暮らしていける貯金があるので、おそらく帰国したとは思うけれど…

とりあえず上海の義父に連絡しなければ!と思ったのですが私の手帳には住所しか書いてなく、とどいたFAXにも記載がない(--

ということで、仕方なく簡単に理由と、のび太が今上海に居るはずであるということを手紙に書き、EMS(国際速達)で送りました。

翌々日、義父から再びFAXが入り(電話番号教えてって書いとくの忘れた)、のび太が13日の夜遅く帰ってきたこと、以来ずっと家にいるけど、いきなり家に帰ってきた理由は話してくれないこと、これから少しずつ聞き出して、また手紙を書く、などということが書いてありました。


「その10」に続く。もうすぐ終わりです。

そういえば今日は誕生日でした・・・

いろいろありすぎて 8 [家族]

「その7」の続きです。

父がのび太をどこぞのビジネスホテルまで送って、チェックインまで見届けたそうです。

兄も東京に帰ったので、その日は久しぶりに両親と私の3人だけの夕食でした。

新たな事件はここから。

父が入浴するので、着替えを母が2階へ取りに行った時のこと。私の部屋のほうから何だか物音がする。よくよく耳を澄ませて聞いてみると、「まうちゃん、まうちゃん」と誰かが呼んでいるような気がする、と母が慌てて降りてきました。

父が私の部屋まで行ってカーテンを開けてみると、部屋続きのベランダにのび太がいたのだそうです。どうやら駐車場の雨どいやエアコンの室外機を足場に登って来たようでした。とりあえず下に下りるよう言い、玄関に回らせたものの、中に入れるのは躊躇われます。情が出てしまうからです。

私は出ないほうがいいだろう、ということで両親が玄関の扉越しに応対。のび太が「私のどこが悪いのか教えてください」と言っているのが聞こえてきます。「離婚するのも手続きがいるんでしょ?」とも。

何だか悲しい、というか情けなくなってしまいました。一人で上海に帰る勇気もないのかと。
それに今になってまだ、こうなってしまった状況が把握できていないし、私達はのび太に一人で考える時間を与えるつもりで上海に返そうと思って、本人にもそう伝えたのに、のび太は追い出されたと思っているのだと思います。それでどうしても納得がいかなくて、それでも私と一緒にいたくて戻って来たのでしょう。

一言何か言ってやりたいとも思いましたが、顔を見たら決心が揺らぐのでそのまま無視しました。その代わり両親が「とりあえず上海に帰りなさい」と何度も言い続けて、やっと諦めてホテルに戻って行ったようでした。

翌日、父がもう一度ホテルまで行ってのび太に会ってくる、と言いました。


「その9」に続く



いろいろありすぎて 7 [家族]


「その6」の続きです。

朝、のび太が隣のコンビニの駐車場にいたのを母が見つけ、とりあえず部屋に寝かせることに。しばらくして兄が部屋に行き、いろいろ話をしました。

そこで兄は、

このままではのび太も居づらいであろうということ。それならやはり一度上海に帰って、自分の親に事情を話し、自分の力で日本語と何か一つ日本で通用するような専門を身につけること。でもいつまでも待てないから期限を区切ること(その間で日本語が完璧、とはいかなくても進歩の程度で考える)。その間に「やっぱり上海で生活したい」と思ったり、誰かとご縁があった場合はそれはそれでよい。まうにもそういう可能性はあるからそれは恨みっこなし、ということにしよう。いずれにしても今のまま日本に居ても無駄だ。

というようなことをのび太に言ったようです。兄としてはまず上海に返して、一人で今までの自分を振り返ってほしかったのだそうです。私も異存はありませんでした。ま、ドイツは潰れるけど(--

しばらくしてのび太が部屋から出てきて、今日上海に帰る。今日航空券が買えなかった場合は、どこかビジネスホテルに泊まって飛行機の空席を待つ、と言いました。

少し可哀想だなとは思いましたが、のび太が小さな脳でおそらく必死に考えた結果です。それにここで甘い顔をしたら、またもとの生活に戻ってしまう。止めることはしませんでした。

しばらくして、父がビジネスホテルまで送って行きました。


「その8」に続きます。 事件はまだまだ続きます。


いろいろありすぎて 6 [家族]

ちょっとご無沙汰してしまいました。所用で東京に行っていました。

「その5」の続きです。

義姉の言葉にのび太は

「まうちゃんのことを考えなければ、上海に帰りたいとも思います」

と言う。兄は「それは皆解ってるよ。要は、その思いを曲げてでもまうと一緒にいたいかどうかってことだよ」と言い、私にも「まうはどうしたい?」と聞きました。私は、

「これからも一緒にいたいという思いはないではない。でも、今のままではお互い不幸になると思う。今のままでのY君(のび太)だったら私は一緒にはいたくない。私がまず最初にしなくちゃいけないと思うのは、まずY君が上海に戻って、自分の親にちゃんと事情を説明して状況を把握してもらって意見を聞くこと。その上でどうすべきか、どうしたいか今みたいに感情的にならないで、冷静に“自分の”考えを構築すること。それでY君がもう一回頑張ろうと思ってくれるなら私も前向きに考えるし、もうイヤだと思うなら、早いうちにケリをつけたい。」

と言いました。のび太が何も言えずにしばらく時間が流れ、義姉の新幹線の時間が近づいてきたので、とりあえず喫茶店を出て、義姉を送り、兄とのび太とで少し散歩した後、のび太が「飲みたい」というので、家の最寄の焼き鳥屋さんへ。私がいないほうがいろいろ話せるだろうと、兄だけが付き合って私は先に実家に帰りました。

1時間ほどして兄だけ帰ってきました。のび太はもう少し一人でいたいとのことでした。

夜の10時を回った頃、のび太から「遅くなるから先に寝てて」と連絡がありました。先に寝てて、と言われてものび太は家の鍵を持たずに外出したので、寝るわけにもいかず…

結局12時過ぎても帰ってこないので、さすがに皆心配して父と兄が何回か車で探しに行き、母も何回も玄関を開けて外の様子をうかがい、私は電話を待ち、をしているうちに夜が明けてしまいました。

朝7時頃、新聞を取りに外へ出た母が、向かいのコンビニの駐車場にのび太がいるのを見つけて連れて帰り、とりあえず軽く食べさせて、寝かせることにしました。

「その7」に続く…

いろいろありすぎて 5 [家族]

「その4」の続きです。

名古屋駅で待ち合わせて、駅近くの喫茶店で相方の話を聞くことに。

長兄がどうした、と聞くとのび太は「謝っているんですけど、なぜおこられるですか…」と消え入りそうな声で事の顛末を話しました。

だーかーらー、口で謝っても、どうして怒られたのか自覚しなくちゃ意味ないし、そもそも怒られるような言動とってるのがわからんのか!

とワタクシ内心イライラです。

イライラな私の斜め向かいで、亀の甲より年の功の兄(12歳上)は非常に冷静。

「Hとの件はね、どっちが正しくてどっちが悪くても、Y君はHのところで働いていて、というか働かせてもらっているんだから、不本意でもHに気に入ってもらえないと生きていけないんだよ。今のY君じゃ、アルバイトでも雇おうという会社はないよ」

「そもそもY君がもう少し日本語が上手だったら、今までのあらゆる問題のほぼ全部、問題にすらなっていなかったんだよ。上海で初めて会った時、日本語を一所懸命頑張るって言ってたよね。あれから3年になるけど、まったく進歩してないのはどうしてかな?確かに外国語をマスターするのは簡単なことじゃないけど、そこにいるまうは中国でちゃんと中国語を話せるようになったからね、Y君に出来ないとは言わせないよ?」

横で聞いていた義姉も

「私とY君はこの家で同じ立場なの解るかな。私もね、まうちゃん達の家族に囲まれていると時として疎外感を感じるし、周りはみんな敵!って思っちゃうこともあるの。でも、それでも私があそこで笑って座っていられるのは、私がちゃんと働いていて、自分ひとりでも食べていけるからなんだよ。今のY君にそれが出来るかな。出来なかったら辛いよね。じゃあY君が笑って皆と一緒にいるためには、どうしたらいいと思う?」

と、いいこと言います。

「で、Y君はどうしたい?」

と聞く兄にのび太は言います。

「前みたい(東京にいた時)に戻りたいんです」

すると義姉が

「それはY君が日本語をマスターすることが前提だね」

とつっこみました。


「その6」へ続く…なかなか終わらないなぁ(--

sirene さん:
「暴力」っていう単語は、中国語で事情を聞いた時も同じようなことを言っていたので、単語の間違いではないようです。残念ながら。

いろいろありすぎて 4 [家族]

「その3」の続きです。

のび太がお留守番をしている頃、私と長兄夫婦は「熱田神宮参拝→デパートでお買い物→一足先に東京に帰る義姉を名古屋駅までお見送り」という予定で行動しておりました。

熱田神宮の参拝を終えて、ちょっと休憩しましょうかという時に、私の携帯に公衆電話から電話がかかってきました。イヤ~な予感がして(のび太は携帯持ってないので)出てみるとやっぱりのび太からでした。今にも泣きそうな声で「今どこにいるの?」と。事情を聞いても「会って話したい」の一点張り。仕方がないので、これ以降の予定を中止して、義姉が帰りやすいように名古屋駅で待ち合わせ。

のび太を待っている間、兄が実家に電話して詳しい事情を母から聞きだしました。母の話によると

昼食時にのび太が両親に「話がある」と切り出した。もう一度次兄の会社で頑張ってみたいと言う。ここまではいいです。問題ない。でも、その次の言葉が母をの理性をぶち切らせてしまったようです。その言葉とは

「お兄さん(次兄)が、もう私に意味もなく暴力を振るわないと約束してくれれば働きます。私は悪くないのでお兄さんには謝りません。」

…これまで父や長兄や私が何度も説明してきたことは何だったのか(TT)それに「暴力」って、車から降ろされるのは暴力とはちょっと違うような…。まぁいい気持ちはしないけどさ。

で、ぶち切れちゃった母が相方に何と言ったかというと

「お父さんやお兄ちゃんが言ってきたこと、Y君(相方)は本当に納得して返事をしてた?確かにH(次兄)のしたことは乱暴だったかもしれないけど、そうせざるを得なかったHの気持ちも解ってないんでしょ?Y君は、自分の価値観でがんじがらめになっていて、私達の考え方とか理解しようと努力してくれてないんじゃない?そういう人が、私達家族や日本の習慣に溶け込めるのかな?子供のこともそうだけど、男の人にはよく解らないだろうけど、女性にとって妊娠・出産は常に危険が伴うし、生めないかもしれないっていう不安がつきまとうの。健康な人だってそうなんだから、ましてやまうなんてもっと不安に決まってるでしょ。そんな人に向かって脅迫するみたいに生むことを迫るなんてお母さんには許せないよ。それなら上海に帰って、価値観が同じで健康な女の子と結婚して子供を作ったほうが、Y君にとっても幸せなんじゃないの?」

とまくし立てたんですねぇ…。本来こういうところで怒る立場だった父が逆に萎縮しちゃって、母を止めるに止められなかったそうです。

で、のび太は「謝ってるのにまた怒られた!」と悲しくなって私に連絡してきたんですねぇ…

「その5」に続きます。


いろいろありすぎて 3 [家族]

皆さん、コメントありがとうございます。この件をすべて書き終えたら、改めてお礼を言わせてください。

「その2」の続きです。

10日夜に長兄夫婦到着。名古屋駅まで父が車で迎えに行き、道中事件のあらましを説明。

で、夕食を兼ねて酒宴となり長兄が(わざと)軽い調子で「H(次兄)と喧嘩したんだって~?」と話を切り出しました。時々軽い話も持ち出して、のび太の気持ちをほぐしつつ、

「でもねぇ、お父さんと話がかぶるかもしれないけど、Hはその日のことだけで怒ったんじゃないよ。確かにHの行動はちょっと行き過ぎていたかも知れないけど、そうしてしまったHの気持ちも理解してあげてほしいなぁ」

「まうは中国で生活するのはイヤだって言ってるんだから、君がまうを好きなら日本で生活する以外に選択肢はないんだよ。だったら日本語をマスターするのは必須条件だよね。商売もいいけど、何をするにも日本語に不自由しているようじゃダメだよ。」

と諭します。のび太の気持ちもほぐれてきて、もう一回頑張ります、なんて言う。

そこで長兄が

「まあ、まうが今後のことを考えている間は君は精進するとして、とりあえず明日はまうはお兄ちゃんとお買い物に行く。君はまうにひどいこと言ったんだから、自宅で謹慎して反省してなさい。」

と締めて、その日はそれでお開きとなりました。

で、翌日私と長兄夫婦とでお出かけ。のび太はお家でお留守番となったわけですが、そこでまた大事件が…(TT)

「その4」に続きます。



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